ジブリアニメの海外進出に関するニュース
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2008年09月01日(月)11時51分
9月1日付Telegraph紙は、「ベネチア映画祭2008:スター達?ベニスに死すだ」と題する記事の中で、
ベネチア映画祭にやってきた映画スター達はすぐにベネチアを去ってしまったし、上映される映画もあまり知られていない監督のものが多い冒険的なラインナップとなっているので、映画祭を取材する記者も観客も少なくて、比較的静かな映画祭となっている。「しかし、素晴らしい映画もある」ということでシャーリーズ・セロンとキム・ベイジンガー主演の「The Burning Plain」が明らかに金獅子賞の有力候補だと述べた後で、
同様に、しかしまったく違う理由で、日本のアニメーションの天才宮崎駿による「崖の上のポニョ」も有力候補である。宮崎は素晴らしい「千と千尋」や「ハウルの動く城」を我々にもたらしたが、ポニョもハンス・クリスチャン・アンデルセンの人魚姫に大まかに基づく子供のためのエンタテイメントである。
(以下、ストーリ紹介とポニョの批評はもう一つのTelegraph紙の記事とほぼ同じなので略)
2008年09月01日(月)11時47分
2008年8月31日日付AFPは「ベネチアで大人のための映画は、宮崎のファンタジーアニメーションのために道をあけた」という記事を配信しました。
(サイトで宮崎監督のベネチアでの写真が見られます)
日本のアニメーションの巨匠宮崎駿による子供のためのファンタジーは、ベネチア映画祭で上映された大人のための残酷な心理ドラマとは対照的でよかった。
(ストーリー紹介略)
ディズニーによって1989年に映画化されたハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「人魚姫」との類似は意図的ではないと宮崎は述べた。
「人魚姫は9歳のときに見ましたので、自分達の文化の一部となっています」と彼は記者会見で述べた。「人間は魂を持っているのに人魚は持っていないことになっているという考えが好きではありませんでした」
また、2004年に東南アジアを襲った津波をほのめかすつもりもなかったと、2003年に「千と千尋の神隠し」で長編アニメーション部門のオスカーを受賞した宮崎は述べた。
「海は来て、また去ります…災害は起こるものだという事を受け入れなくちゃいけません」と彼は述べた。
彼のスタッフの多くには幼い子供がいるが、子供達と海が彼の主要なインスピレーションであったと67歳の宮崎は述べた。
「海はとても複雑だから、描いたら素晴らしいだろうなと思った」と彼は述べ、CGの有用性は認めながらも「やりすぎになることがある」と言った。
「アニメーションには鉛筆と人間の描く手が必要なんです…僕は鉛筆を出来る限り使うつもりです」と宮崎は述べた。
(以下他の映画の批評省略)
2008年09月01日(月)01時55分
2008年8月31日付Reuters配信の記事によると、
(他の記事と内容がほぼ同じなので略。日本では興行的に大成功しているという話に続いて)
しかし宮崎の映画は海外ではアニメーションのファンの間では熱心な信者を持つにもかかわらず、同様の(商業的)成功をおさめる事は出来ないでいる。
アンデルセンの物語のような西洋の古典を現代の日本に舞台を移すことにより、ポニョは「世界中の誰にでもアピール」し、主に子供達に向けて作られてはいるが、特にどの観客層が対象という事はないと宮崎は述べた。
2008年09月01日(月)01時13分
2008年8月31日付International Herald Tribune紙は、ベネチアにおける宮崎監督のインタビュー記事を掲載しました。
尚、米国ではディズニーが公開することが決まっていますが公開日は未定、ヨーロッパでは年末から公開との事です。
宮崎監督オスカー受賞者である宮崎駿は、彼の最新作ではCGをやめ、鉛筆とクレヨンに戻った。この映画はハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」の東洋版である。
(ストーリー紹介略)
この映画を「リトル・マーメイド」や「ニモ」と比べるのは簡単だ。しかし「リトル・マーメイド」とは異なり、宮崎の水面下の世界は無垢ではない。そして「ニモ」とは異なり、宮崎が創造した環境は現実に似せようとしてつくられたものではない。
「海はとても複雑なものなんです。僕はそれをクレヨンで描いたらいいだろうなと思っただけです」と宮崎は日曜日の記者会見で語った。CG技術は役に立つが、時には過剰になりすぎると彼は語った。
「アニメーションは時には鉛筆と絵を描く人間の手が必要だと思います」と宮崎は語った。
宮崎のアニメーションは激しく動き回る何層もに積み重なった海の生物達を描く。波は魚に変化しまた波に戻り、魚の群れは波のように打ち寄せる。背後に通り過ぎる護衛艦、嵐でひっくり返った植木鉢、コーヒーテーブルの上のちぎれたラーメンのかけらなど、細部の描写がそれをリアルで現代的なものにしている。
宮崎はアンデルセンの物語に着想を得た事は認めたが、類似点は少しだけだと述べた。彼は子供の頃からアンデルセンの人魚達が魂を持っていないことがひっかかっていたと述べた。(訳注:アンデルセンの人魚姫では、人魚は人間とは異なり、魂を持たない存在だとされています。)
「ポニョ」は現代の日本を舞台としているし、ポニョはもちろん人魚ではない。ポニョは人間の顔をした金魚であり、人間の少女への変化は進化的である。最初鳥のような手と足が生え、宗介との愛情が深まるにつれより人間らしくなるのだ。
ポニョには魂があり、青いバケツ、タオル、ランプといった彼女の最初の持ち物の持ち物に対するように、幼児に抱きついて優しく交流するときには人間らしい面を見せる。
この映画の最後のメッセージはまったくの無条件の愛と受容である。最後のシーンで、5才の宗介はポニョが魚であろうが人間であろうがその中間であろうが愛すると誓う。
「ポニョ」は67歳の宮崎の最後の作品であると報じられていたが、宮崎は他の作品が進行中であるとほのめかした。もっとも今までよりもスタッフに頼らなければならなくなるだろうが。
「僕は67歳で、次の作品では70を超えてます。だから若い世代に助けてもらわなくてはならないでしょうね」と2005年のベネチアで生涯功労賞を受賞した宮崎は述べた。
(興行成績について略)
「ポニョ」は米国ではディズニーにより公開されるが、公開日は決まっていない。ヨーロッパでは今年の年末から公開され始める。
2008年09月01日(月)00時12分
2008年8月31日付Screen Daily紙はポニョの批評を掲載しました。
映像的には、この映画は並外れている。想像力の点から言えば、この映画は大胆不敵である。宮崎駿は再び比類なき映画を作り上げた。人魚姫伝説の日本バージョンである「崖の上のポニョ」はかわいらしい、優しい、感動的な、そして常に楽しい映画である。
(興行成績について略)
ベネチア映画祭のコンペ部門で国際的にデビューしたポニョは、ありあまる豊かな色彩の嵐として輝くので、周りの全てのものを灰色に見せてしまうほどだ。冒頭のシークエンスは、宮崎が主人公である5才の宗介の心をあまりにも正確に描いているので、幼稚園で見かける虹色の絵の中を旅しているような気になる。
しかしポニョは、伝統的なセルアニメーションのまったくの創造性、そのキャラクター造形(この映画の中の大人は全てリアルに思える)、老人と子供のやりとり、映画を通して発揮される自由な想像力、そしてなにより、宮崎がいまだに異なったものであろうとする冒険心、その全てのレベルにおいてフル回転である。弱点としては、アニメーションとしては101分はちょっと長すぎるし、第三幕はやや沈滞している(子供達によるボートの旅は特に焦点が合っていない感じだった)。また、たびたび破壊的になるポニョは、日本以外では子供向けとして受け入れられるのは明らかに難しい(しかし、ストレスを感じるとビールの缶を開けたり、助手席に座る5才の子供にシートベルトをするように言いながら車のスピードを上げて子供を何度も危険にさらすような母親は、平均的なアニメーション映画の中の母親よりずっと面白い。)
(ストーリー紹介省略)
ストーリーはシンプルであるが、大人を満足させるに充分以上のものを宮崎はポニョに込めている(アジア以外の市場では、おそらく大人が主な観客となろう)。老齢や環境問題、無邪気さと経験の対立、そして海そのものを主要なキャラクターにしてしまうという面白い実験など、ポニョはまったく衰えを見せない巨匠からの忘れがたい芸術的達成である。
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